目次
Preface
はじめに、断っておくことがある。
ひとつは、私がフランクな言葉づかいになるのを大目に見てほしいこと。自分の好きなものについて語るとき、人は饒舌になる。熱くなり、率直さを優先させてしまうもの。
どうかご了承を。
もうひとつは、これまで……そして、この先に記すもの全て、私独自の見解で記す情報なのだが、その中には少数派の意見も含まれるだろう。君が読んだ有名なサイト記事とも著名な本とも辞書とも異なる、間違っていると思う内容もあるかもしれない。
だが、物事に対する見方・とらえかた・感じ方・考え方は人によって違う。
だから。もし、反論したくなる事項があっても、
ふーん、ノニクはこう思うんだな。オレはそうは思わないけど。
と、流してくれ。
私も、君の見解にとやかくいうつもりはない。
君は君の理解で、ケイオスマジックについて(そのほかの情報についても)の見識を深めてほしい。
私の説明だけじゃ物足りない、多分に偏ってそうと思う君。
概要をつかむのに、まずはここで。
そのあとは、好きにサイトで情報収集するといい。
ちょっと難しいかもしれないが、日本語サイトより英語サイトのほうが圧倒的に盛りだくさん。かなり詳しい内容を公開しているところもあるので、
chaos magick(magic)
で検索&チェックしてみよう。
書籍は…探し方が悪いのか、洋書しか見つからず。
ケイオスマジックは、量子を絡めた説明などセオリーに重点をおいた本が多い。
私はどんな分野の実用書でも、その歴史とか細かいセオリーとかをしつこく語っていないものが好みだ。そのへんは人によるので、とりあえず今は、いろいろ見てお試しあれ。
では、ノニクによるケイオスマジックの説明に入ろう。
ケイオスマジックはどうしてケイオス(混沌)と呼ばれるのか
ケイオスマジックは、英語で chaos magick。
だから、日本語で混沌魔術となるのだが…混沌という言葉のせいで、この魔術が誤解されている気がするのは私だけだろうか。
chaosを辞書で引くと、混沌・混乱・無秩序・乱雑な集合・底なしの淵・カオス…。
そう、ごっちゃごちゃに散らかった部屋をカオス状態っていうよな。カオスの意味はわかる。
だけど、混沌魔術って言っちゃうと。この魔術を使うと物事がカオスになる、みたいに思われないか?
なんか、混乱を招く魔術ってイメージが湧く。
だから、やっぱり、ケイオスマジックと呼ぶのがいい。
カオスマジックではなく、混沌魔術でもなく、ケイオスマジック。
でも、なぜ chaos と呼ぶようになったのか?
18世紀にはすでにあったとされるケイオスマジックは、19世紀20世紀にはひとつの体系(ゆるめの)として確立し、21世紀の現在も進化を遂げ続けている魔術だ。私がケイオスマジシャンとなったのも、21世紀になってから。
余談だが、その頃の私は、悪名高きアレイスター・クロウリーの書物を読み漁ったり、ゲーティアの悪魔の絵にぞっとしたり、カバラをかじったり。
マーフィー博士の教えはずいぶん前から知っていたが、引き寄せの法則の火つけ本「ザ・シークレット」がブームになる頃までは、スピリチュアル系のものや魔術に対してほの暗いイメージを持っていた。
犯罪じゃないけど、人に誇らしくは言えないような。(それゆえに魅かれる部分もあったけれども)
そして、ケイオスマジックに出会えたとき、私の世界はシフトする。
1ミリの迷いなく、世界一ハッピーに生きると決めたのだ。
サンクス!!!
話を戻そう。
18世紀19世紀は近代魔術の黄金期で、魔術結社や秘密結社に属する魔術師が大勢で、そこでは細かくて長い、ガッチガチのルールで守られた儀式や秘法が重宝されていたとされる。
ある体系のある組織に籍を置き、そこでのヒエアルキーの中で高みを目指す魔術師たちからみたケイオスマジックは…
儀式はやっても簡易的。
自分たちの魔術の真似事をしてると思えば、今度は古代のシジル。
お次はどこかで信仰されてる神を召喚?
なんだ、この魔術は。
やることがメチャクチャだ!
…ケイオス(混沌)マジックって呼ぶ気持ちもわかるよな。
でも。
人によって価値観が違うのは承知。
その上で言っちゃうけど。
何かを成すにあたって優先すべきは、最良の結果を出すために最善の方法を選ぶことだろう?
うわべをつくろう形式や見栄え、他人からどう思われるかを気にして全力を出さなかったり、遠慮したり、時間をロスしたり、急いでミスしたり…
ベストを尽くす障害になるものは、なくていい。
長い時間をかけて気力と体力を消耗させる儀式を短縮しても同じ結果を出せるなら、その儀式は要らないよな。
もちろん、それをやったほうがいい結果を得られるなら、やるに決まってるけど。
魔術の場合、望む結果を得る…ちゃんと機能させる…のに、不要なことを省いてなんかまずいことあるのか?
(あくまでも、魔術の場合だ。世の中には形式や階級、ルール、順を守ったプロシージャが大事なとき・状況・場所があるのはわかってる)
ケイオスマジックは、このへんと、あとほかにいろいろなところが超実用的だ。
魔術の知識で、ケイオスマジックが一番使い勝手の良い魔術であるとした。
その理由とかぶるが、ケイオスマジックの魅力(使い勝手がよく実用的なところ)を詳しくみていこう。
大きな要因は、シンプル&自由だ。
超実用的なケイオスマジックの魅力
ひとつ。
面倒な儀式が不要であること。
勘違いしないでくれ。
面倒な儀式が不要=やるな、ではない。
やりたければ、何時間やってもいい。本当に必要な部分をやって、そのほかの、やってもやらなくても同じ効果がえられる部分は、やらなくてもかまわないってだけ。
自分の気分を高めるために身を清めたり、香をたいたり、杖だの鏡だの剣だのをしっかりそろえたり……もちろん、していい。
ただ、しなくても同じ気分、精神の状態になれるなら…
しないほうが楽じゃないか?
時間は短縮。小道具も省略。
要は、自分がケイオスマジシャンになり切れるかどうか、だ。
人によっては、特定の魔術を行う際は決まった月齢の決まった時間、決まった小道具を前にすることで、自信を持って魔術ができる。
つまり、身も心も魔術師になれるのだ。
それはそれでいい。自分の好きにしよう。
1曲踊ってからやるのが、魔術がうまくいく秘訣。そう思ってるならそうしよう。その方法で成功するのであれば、それがその人にとっての成功の鍵となる。
魔術によって、外せない儀式もある。
それ以外は……君の好きに省いてOKだ。
時間がかからない
これは儀式で省ける時間単位のことじゃなく、もう少し長い日単位、月単位のこと。
ひとつは、月齢や曜日や木星の位置だとか、週一月一でしかその魔術をやるチャンスがないとされる種類の魔術。
そりゃ、もっともパワーの高まる新月に行う魔術、決められた日数を経て準備が整う魔術とか言われたら、その通りにやらないと失敗するって思っちゃうよな。
ちょうどそのあたり日に都合が悪くなったら、もう何日間かおあずけ……で、なかなかできない。それだと、けっこう時間がかかるんだ。
ケイオスマジックは、割と融通がきく。
何日も待たなくても、自分がOKと思ったらOK。
極端に言えば、なくなりそうな下弦の月の日に、満月にやる魔術もできる。
どうやるか?
月は無視するのか?
いや。
今日は満月だと思い込んでやる。
魔術をやるときに君がそう信じれば、月は太る。まんまるに。それで問題なし。
そう。ケイオスマジックは、思い込みで魔術を行える。
思い込み…思考にパワーがあるのは、いろんな世界で多くの人が肯定する事実。
ケイオスマジシャンにとってもだ。
もうひとつは、魔術の習得ペースを自分で決められること。
たとえば、ある魔術結社に属した場合、段階的な習得ペースが決められている。最初はプレスクールみたいな感じで課題をこなし、イニシエーション(通過儀礼)を経て、簡単な魔術から高度なものへと学んでいく。
スキップ制度があるのかもしれないけど、じれったい。あれがやりたい、と思っても、なかなか教えてはもらえない……時間がかかるのだ。
その点、ケイオスマジックは独学でもかなりいける。
ケイオスマジックにも魔術結社はある。メジャーどころはIOT(Illuminates of Thanaterosで、この創設者2人の出会い(1976年頃)がケイオスマジックの始まりっていうのをよく見るんだけど……いや、もっとずっと前からあるでしょ!(目に見えて体系化したのはこの頃かもしれないけど)と思うけど、まあ、いいや。
ケイオスマジックのすばらしさは変わらないからね。
(そのIOT、自由な社風(?)だといいな。なんとなく)
ひとりで学べるケイオスマジック。
ベーシックなシジルマジックより先に、強力なサービターをつくるのも、君の自由だ。
必要不可欠なものが明確
シンプルゆえに必要不可欠なもの=コア、エッセンスがわかるから、不要なものもわかる。骨組みがわかれば自由に肉付けできるし、余計な装飾を外したりもできる。
この利点は、ほかの魔術を借用するときに便利だ。
コアはケイオスマジック、ほかから拝借したエッセンスを加えてパワーアップ。
うん。いい感じだ。
最低限のルールを守ればОK
ルールとは、守ることで問題なく物事が進むようにするためのもの。本来は、なくても問題が起こらないことに、ルールは作られないはず。
でも、実際は要らないルールがよくある。魔術以外の世界もそう。
それは、時間の経過が原因だ。
ルールが作られた時代と今に大きな隔たりがあればあるほど、当時は必要だったのだろうが、現在では意味のないルールが存在する。
伝統を重んじるところでは、たとえ形骸化したルールでも守ることに意義があったりする。
けれども、
ケイオスマジックに、意味のないルールは必要ない。
さらに、意味のある決まり事・約束事でも、それに従わずに同じ効果を出せる自信があるなら、自分ルールを適応するのもありだ。
自分流の魔術開発と同じ、完全に自己責任で行う領域だが、望む結果を得るためのより使いやすい魔術となるなら問題はない。
(うまくいかった場合はそのルールの重要性を再認識して、次からは守ればいいだけ)
機能する魔術であること。
それがすべてだ。
自分がやりやすくなるための要素を付加できる
これは、ほかの魔術でもあるかもしれない。
自分なりのルーティーンってやつだ。
・瞑想してから魔術を行う等のプレ儀式
・必要とされてはいないが、それがあるほうがやりやすい小道具
・なくてもいいけど、あったほうがその気になれるものやこと(もちろん、それをして・それがあったら邪魔になったり悪影響のあるものは除いて)
などなど。
気分がのるなら、好きな要素を追加してよし。
シンプルなケイオスマジックは、その幅が広いのだ。
流派に属さなくても学べる
ほかの魔術ほど、ケイオスマジックに流派は多くないと思う。
あるとしても、ガチガチのシステマチックなものじゃないはず。少なくとも、独学でOKな部分がかなりある。
とらわれない柔軟性。
それが、ケイオスマジックのキモだ。
とりあえず、君もひとりで始めてみよう。
仲間がほしい。
師がほしい。
そう思ったときに、魔術で仲間や師を見つければいい。
好きなものを信じていい
好きなもの……神、女神、天使、妖精、悪魔などのスピリットはもちろん、どの民族の、どの地域の、どの信仰対象を信じてもいい。
ケイオスマジックは、聖典を必要とせず、信仰も不定。昨日の信仰をあっさりやめて、今日は別の神を信じることも……いや、ちょっと違うか。
はっきり言おう。
たとえ信じていなくても。
信じてるかのように魔術を行うことが、ケイオスマジックの神髄だ。
この信念の柔軟性に批判的な意見もあるのは承知。
でも。
みんなそうやって生きてるだろ?
そのときそのときに、一番ふさわしい自分を演じる。
君は違うか?
家にひとりでいるときの自分。
仕事で上司に接するときの自分。
気の置けない友人といるときの自分。
恋人と過ごすときの自分。
スポーツ等で敵と対戦してるときの自分。
場面によって最適な自分でいることは、悪くもおかしくもない。むしろ、いつでもどこでも素の自分でいられる人がいたら、素直にすごい!と思う。
楽しくなくても、楽しそうなフリをする…楽しんでる自分を演じる……のは、その場の雰囲気を壊さないためだったり、一緒にいる相手に対する思いやりだったりする。
それと同じように。
天使を信じてなくても天使を信じてるフリをするのは、魔術を機能させるため。
ほら、全然おかしくない。
問題ない。
だから、
「好きなものを信じていい」は、
「何を信じる自分を演じてもいい」ってこと。
実際に信じてるかどうかは、あまり関係ない。
ケイオスマジシャンがみんなそうとは言わないけれども。
信じるフリも、そのうちフリじゃなくなるから……大丈夫だ。
どの体系のエッセンスを使ってもいい
ケイオスマジックでは、基本的にどの魔術でも行える。
ウィッカのレシピで魔法の薬を作ってもいいし、シジルにルーン文字を加えてもいい。
それぞれの魔術には、それぞれの特徴がある。
その中には、ほかの魔術の主義主張と異なるものや、信仰に反するものもあるだろう。ある魔術ではOKなことが、別の魔術ではNGだったりする。
ケイオスマジックでは、違う体系の魔術をミックスして使うことに問題はない。最良の結果を得るために各魔術のいいところを取り入れて、よりよい魔術のできあがりだ。
ケイオスマジックは、形にとらわれることなく、どの魔術のどの技法を使ってもいい。
機能する魔術に、種類を分ける境界線はない。
ひとつの概念に執着しなくていい
実際に魔術を機能させる……望む結果を引き起こすために力を働かせる……のは、宇宙エネルギーだとした。
宇宙エネルギーを肯定しよう、と。
この宇宙エネルギーは、たくさんの呼び名を持っている。
ある人はそれを神の力と呼び、ある人はそれを、波動(素粒子の95パーセントを占める)と呼び。またある人は、ワンネスという意識の集合体であるという。
君も、このエネルギー(力)を好きな言葉で呼んでかまわない。もちろん、魔力でもOK。
魔術を機能させるものの正体が何であっても、魔術は機能する。それでいい。
宇宙エネルギーという概念以外に君がこれと思うものがあれば、それを魔術の機能させるものとしてOKだ。
あとで何か新しい情報を得てその概念に賛同したなら、今度はそっちに変えてもいい。
とにかく、どんな概念であっても、自分が納得して信じられるものには意味があるし、全然わからないなら意味のない代物だ。
もともと、概念は抽象的なもの(と思う)。
誰かがそう言ったこと、自分がそれを信じたことに執着しないでおこう。
ひとつの概念に固執すると、世界は狭くなる。
そして、ときに不便だ。
たとえば。
あるとき、君は召喚魔術をやることにした。
呼び出すスピリットを決め、いざ儀式を始めようとしたら……気になることが。
魔法円がない。
ノニクのやり方だと、魔法円は描かなくてもOKってなってる。
でも。
ほかのやり方では、魔法円を描くって…なんか悪いこと起こったらどうしよう……ソロモン王の魔法円とかなくていいの?
不安だ……。
そう思うなら、描こう。
たとえば。
召喚魔術に、魔術体系によって異なる以下2つの概念があるとする。
Aの概念:簡易化した儀式を行う。召喚魔術に魔法円は不要。なくても問題なし。
Bの概念:伝統的なキッチリした儀式を行う。召喚魔術に魔法円は必要。邪悪なスピリットを閉じ込めておくため、自分の身を守るためになくてはならない。
この場合、どちらの概念に従って召喚魔術をやってもいいし、「儀式はAの簡易的な儀式をおこなう」にして、「魔法円に関してはBの魔法円は必要」にしてもいいのだ。
そうすれば、面倒な儀式をやる必要はないという気持ちと、魔法円がないと不安だという気持ちの両方が満たされ、自信を持って魔術を行える。
便利だろう?
ケイオスマジックはひとつの概念にこだわらず、フレキシブルなスタンスでいられる。
ほかの魔術でもOKかもしれないけど。
全然問題ないよ!って堂々と思えるケイオスマジックは、気持ちが楽なのだ。
自由に魔術の開発ができる
開発といっても、一からつくるのはちょっとしんどいかもしれない。
けれども、何世紀も前につくられた魔術をもとに、今の時代に合った新しい魔術を開発するのはワクワクしないか?
本で見つけたスピリット。この存在の持つパワーを使いたい。
でも、召喚するんじゃなく……そうだ、このスピリットのシジルを使おう。
タリスマンをつくるか?
いや、キャンドルに刻んで……。
可能性は無限大だ。
ただし、開発するのが魔術であるかぎり、機能しなければ意味がない。
試行錯誤の中で学ぶことも多いが、情報収集の段階でわかるエッセンス・コア・骨組みがある。平和と調和を司るスピリットは、闘いや勝利の目的には向かない、とかね。
まずは。
すでにある魔術を行って、魔術に慣れ親しもう。
その先に。
さらなる魔術を追求したいと思ったとき、ケイオスマジックは自分の魔術がつくれるんだという魅力を思い出してほしい。
Postface
どうだろう。
君もケイオスマジックの魅力に憑りつかれたんじゃないか?
ケイオスマジシャン…仲間は大歓迎だ。