目次
Divine Name とは
Divine Name…神聖なる名とは、何だろうか。
神(と呼ばれる存在)を表す名。
それは Divine Name であるだろう。
宇宙エネルギーの呼び方。
それは Divine Name であるだろう。
神のみ使いの名、天使の名、天の支配者の名、この世界を創った者の名、運命の名、善(悪)の名、生(死)を司る者の名…。
それらも、 Divine Name であるだろう。
私たちは人間の叡智を超える存在に、ときに懇願し、ときに心の平穏・拠り所の対象とし、感謝する…それらすべての存在を呼ぶ名を、Divine Name というのだと思う。
魔術では旧約聖書の神の名を用いることが多いと記したが、これは西洋魔術・儀式魔術と呼ばれる体系からの技法でそうだというだけであり、そうでなければならないという法はない。
君が日本という国に生きているのならば、聖書の神より天照大御神のほうが身近でしっくりくるかもしれない。その場合は、日本に伝わる魔術を探求し、西洋魔術と組み合わせ、独自のケイオスマジックを行うのもアリだ。
魔術の道を行く中で、私自身も、神道その他の要素を取り入れることもあるだろう。そのときは、この手引きにも発見した事柄を記していこうと思う。
今、私がここに記す Divine Name は、数多ある神聖なる名の一部である。
(ヘブライ文字で表記)
そして、これらは、ここで手引きした召喚魔術で用いた名であり、旧約聖書における神の名、そして、カバラおよびグリモワールによって現代に伝わる用法からの説明となる。
יהוה (YHVH)
יהוה は、英語でYHVH、カタカナでイーアォエ(ヤハウェ)と表す神の名である。
この4文字の Divine Name は、口にしてはならないとされる名であり、現在では正確な発音を知る術はないとされている。
この聖なる4文字(神聖四文字_テトラグラマトン)は、魔術…特にアミュレット・タリスマン…に欠かせない Divine Name である。
なぜなら、יהוה は最も神聖かつパワーのある神の名だからだ。
また、カバラでは、יהוה は人類を含む万物創造の公式ともされている。
誰しもが、すべてを超える次元にある存在…信じる信じない・抗う従うを選択するまでもないもの…を認識していると仮定するならば、その存在を表す名であるといえるだろう。
聖なる名 יהוה を完全にひも解くのは不可能に近い。
君が、自分なりにこの Divine Name をケイオスマジシャンとして位置づけることを願う。
אל (El), אלהים (Elohim)
אל(El_エル)、אלהים(Elohim_エロヒム)とも、総称としての神の名である。セム語の神の呼称であり、神性の存在を大きく括った名ともいえる。
ふたつのうち、אל(El)が神の呼び名として初めに用いられたが、אלהים(Elohim_エロヒム)のほうが多く見られる。אל(El)、אלהים(Elohim_エロヒム)とも、単数形、複数形両方に使われることがある。
また、どちらも、神の総称であるが、特定の神に対して使われることもある。
感覚としては、私たちが普段『神』『神さま』という言葉を使うのと同じである。漠然とした神のこともあり、特定の分野の神の場合もあるだろう。
אדני (Adonai)
אדני (Adonai_アドナイ) は、神に呼びかける際の名として知られている(『主よ』など)が、魔術においては特別な意味を持つ。
カバラ思想の概念である生命の樹のマルクトと関連のある אדני (Adonai) は、私たちのいるこの世界の豊かさと密接に関係している。そのため、祈りとしてこの名を唱えることはもとより、魔術の実践に多々用いられることは至極当然といえるだろう。
また、アミュレット・タリスマンにおいて、 אדני (Adonai) は יהוה (YHVH) をはじめ他の Divine Name と組み合わされて用いられることが多い。
この聖なる名は、私たちにあらゆるものの顕現をもたらし得る神の名とされている。
שדי (Shadai)
שדי (Shadai) は、全能の神という意味で用いられる名である。
また、古来のアッカド語 shadu (山)に由来するという説もあり、固く守る・強化する・不変のものという意味合いから強さを象徴する名でもある。
そのため、שדי (Shadai) の名は守護を目的とするアミュレット(タリスマン)に数多く記されている。
אדירירון (Adiriron)
אדירירון (Adiriron) は、強大な・格別のものを意味するヘブライ語からとされる神の名であり、偉大なる神の強大な力を表すとされている。
また、 אדירירון (Adiriron) は、喜びの名という名称を併せ持っている。
אהיה אשר אהיה (Ehyeh asher Ehyeh)
אהיה אשר אהיה (Ehyeh asher Ehyeh) は、
英訳で、
I am that I am (I will be what I will be) となり、
日本語にすると、
私は私である…私は在る・有る者である…すなわち、『存在そのもの』である。
(これは、 出エジプト記 第3章 第14節で神が自分を名乗るときの文)
אהיה אשר אהיה (Ehyeh asher Ehyeh) は、神による神の名である。
צורטק (Tzurtak)
צורטק (Tzurtak) はTzurat ha-Kodesh の省略形で、神聖なるものの形を意味する神の名である。
人間の創造性を支配する名であり、人の最も善い面と非常に悪い面を生じさせる。そのことから、魔術では口から出る災いを回避する、あるいは防御するために用いられることが多い。
終わりに
ここに記した以外にも、たくさんの Divine Name がある。
他所で得る情報の中でも、神の名、天使の名など多くの Divine Name と君は出会うだろう。
そして、ケイオスマジックを実践していく過程で、その名を用いた魔術を行うだろう。
その際には、誠意と敬意を持って使用してほしい。
君が神聖なる名の表す存在を信じていても、いなくても、だ。
Divine Name を唱える、あるいは、シジルやタリスマンに記すという行為が、頭でも心でもなく君の存在自体が、神聖なるもののパワーを肯定している証なのだから。